イラカブ関連の史料などは残っていないので史実は不明であるが、少なくとも100年以上は栽培されてきた。
地元には、高千穂太郎がイラカブを伝えたという伝説がある。高千穂太郎は、日向国高千穂地方を古代から治めてきた三田井氏の長男が代々受け継ぐ名前である。三田井氏が、その6代目で家を継ぐ男子がいなかったので、950年ころ、豊後の大神惟基(おおがこれもと)の一男、大神太郎政次を養子に迎えて、初代の高千穂太郎正次を名乗らせたという。その後、三田井氏(高千穂氏)が安土・桃山時代まで高千穂地域を治めたが、1591(文禄元)年、豊臣秀吉による九州平定で縣城(延岡城)主となった高橋元種が仲山城にいた三田井親武(高千穂太郎親武)を諸塚村で討ち取り、1597(慶長2)年には親武の長男、重武が自死して、三田井氏は滅亡したといわれている。ところが親武は生き延びて立石村(現、美郷町西郷立石)に身を寄せるとともにイラカブを伝えたというのである。立石村に高千穂太郎の墓があるという。