約400年以上前、豊臣秀吉の時代に塩飽水軍が朝鮮の役の功績によって秀吉からこのトウガラシを拝領したと言い伝えられている。平賀源内も『蕃椒譜』に朝鮮の役で種子を持ち帰ったこと、長さ五寸近くになる「本高」なる品種を記載しているという(香川資料4)。 昭和初期にはピクルスの材料として海外へ輸出され、高い評価を得ていたという。三豊市詫間町で昭和57(1982)年まで営業していたトウガラシ問屋によると、最盛期の買い入れ額は当時の貨幣で8億円を超えたという。しかし昭和中期以降は、安い輸入品に押され生産量が減少し、姿を消した(香川資料1と4)。 2005年ころ三豊市詫間町で香川本鷹を門外不出で栽培していた農家から、香川県西讃農業改良普及センターの糸川桂市氏が許しを得て種子を分譲してもらい、2006(平成18)年2月に県・市・JA・加工品会社とともに「香川本鷹復活プロジェクト」が始まった。同年、飽海諸島の丸亀市手島町と広島町の8戸8aで復活栽培が始まった。平成26(2014)年には三豊市内を中心に75aを15戸の生産者が栽培し、7.5tを生産した(香川資料4)。 |