岐阜市では戦後間もないころ則武や島で栽培されていたが、宅地化が進み、昭和40年代ころから現在のように郊外(岐阜市外)で出作りするようになった。 岐阜資料5によると、大阪府守口市で栽培されていた守口大根に由来する説と、大阪の守口大根とは別で長良川流域で栽培されていた美濃干し大根、長良大根ともよばれた細根大根に由来するとする説があり、現在は後者が有力視されている。 1642(寛永19)年の鏡島村夫帳(上松屋文書)には「干大根」、「細根大根」の記載があることから、江戸時代は干し大根として利用され、細根大根などと呼ばれていたことがうかがえる。明治になって大阪の守口漬けに利用されるようになって次第に守口大根と呼ばれるようになった。戦前までは岐阜市のみで栽培されていたが、戦後愛知県扶桑町に養蚕の代替作物として導入され、生産拡大につれて岐阜市側と対立するようになったが、1958(昭和33)年に岐阜・愛知守口大根生産連絡協議会が設立され、両産地は共生の道を歩むようになった。 |