在来品種データベース

「なつめ」品種情報
生産地岐阜県高山市国府町
作物名ナツメ
品種名なつめ
学名Ziziphus jujuba Mill. var. inermis (Bunge) Rehder (クロウメモドキ科)
現地での呼称なつめ
写真収穫されたナツメ ナツメの甘露煮とあきしまささげの煮付け なつめが歌われている国府小学校校歌2021-12-8@高山市立国府小学校 古木ナツメの枝と実2021-12-9@高山市国府町金桶 家屋の周囲に植えられているナツメの古木2021-12-9@高山市国府町金桶
栽培方法日当たり良く排水の良いところなら土質を選ばない。実生または株分けで増殖する。実の収穫は10月に行われる。
品種特性ナツメはクロウメモドキ科の落葉高木で、サネブトナツメZiziphus jujuba Mill. var. spinosa (Bunge) Hu ex H.F.Chowの栽培改良種とされる。ヨーロッパ南東部から西アジアを経て東アジアの中国の華北までの広範な地域が原産地とされている(岐阜資料3)。果実は赤茶色で大きさは2~3cm、生食するとリンゴのような酸味があり、中心に1個の種子が入る。
由来・歴史

高山市国府町で栽培されるナツメの由来に関する直接的な史料はない。しかし、同地には古代から朝鮮半島からの渡来人との人的交流があったことをうかがわせる数多くの事物(古墳時代の甲冑、古代寺院など)が存在しており、天長10(833)年には飛騨国から松の実(大陸ではナツメと同様に不老の食として信仰されている食べ物)を天皇の食として供出されていることや、現在、高山で食されているナツメの甘露煮は中国東北部や朝鮮半島での食べ方と相通じていることなどから、国府町のナツメは古代に朝鮮半島からもたらされた可能性が示唆されている(岐阜資料4)。また第七代飛騨代官の長谷川忠崇が延享年間(1744~48年)に著したとされる「飛州志」には食用の果実として「棗」(なつめ)の記載がある(岐阜資料6)。江戸末期の飛騨國の村ごとの地誌を記した『斐太後風土記 巻十 吉城郡広瀬郷および巻十一 吉城郡吉城郷』(岐阜資料8)には、現在の高山市国府町木曽垣内を中心にナツメの産物記録がある。具体的には宮川の南側では金桶村に、宮川に平行して北部を流れる宮川支流の荒城川流域では鶴巣村、半田村、桐谷村、木曽垣内村、広瀬町村、三日町村、蓑輪村、八日町村、東門前村に産物として「なつめ」の記載がある。

高山市立国府小学校の校歌(1959(昭和34)年12月制定)には「宮川の流れの岸になつめはみのる。さいわいのしるしのように 赤い実が 赤い実が 約束される」と歌われていることから、地域の人々がいかにナツメを大切にしてきたかをうかがい知ることができる。

伝統的利用法砂糖と醤油で味付けした甘露煮が定番。正月にも食べる。小学校の秋の運動会の昼食のおかずに必ず食べたという習慣もあったようである(岐阜資料4)。ナツメの甘露煮をおかずとして食卓に並べる習慣は日本では珍しい。果実は生食もするが、焼酎漬けにしたり、蒸した後に干して「干しなつめ」にしたり、冷凍したりして保存する。また風邪をひいたときなど「干しなつめ」を煮出し、ナツメ茶として飲むこともある。
栽培・保存の現状高山市国府町木曽垣内(きそがいと)を中心に多くの農家の庭先にナツメの木があったが、2004年の台風16号による水害でナツメの木が枯れ栽培者がかなり減った。
消費・流通の現状主に自家用。朝市などで販売。
参考資料
  • 岐阜資料3)星川清親(2003)「栽培植物の起源と伝播」二宮書店
  • 岐阜資料4)八賀晋(2008)棗(なつめ)を食す国『日本の食文化に歴史を読むー東海の食の特色を探る』中日出版社
  • 岐阜資料6)長谷川忠崇(1744-48)「飛州志」.盛永俊太郎・安田健編(1987)『享保・元文諸国産物帳集成・第1期・第5巻 飛騨・近江・伊勢:摂津・河内・和泉』(科学書院)p.18.
  • 岐阜資料8)富田礼彦(1873)「斐太後風土記」.安田健編(2000)『享保・元文諸国産物帳集成・第2期・第Ⅷ巻 飛騨・山城・紀伊』(科学書院)、p.68-71.
調査日
  • 2015/10/17
  • 2021/3/26