1902(明治35)年、三浦郡農会が発足し、同会の鈴木寿一が「練馬大根」を導入し、三浦在来の「高円坊ダイコン」(首が太く根は長いが先端が細い系統)との交雑を行って形状の改良を行った。さらに「練馬大根」との自然交雑によって1923,24(大正12,13)年までに「三浦中生」あるいは「相模ダイコン」といわれる系統に改良され、1925(大正14)年に郡農会の岸亀蔵によって正式に「三浦ダイコン」と命名された。 昭和初期には肥大性がよく、収穫容易な多収系統が、1953年ころには神奈川県園芸試験場の下川三男氏が「早生三浦」や「三浦晩生」などを育成し、さらにウィルス抵抗性が付与した品種も育成した。1982(昭和57)年には三浦市農協がF1の三浦ダイコン品種を完成させた。 しかし1979(昭和54)年の間引きを終えた10月19日に大型台風が襲い、まき直しを余儀なくされた。「三浦ダイコン」の播種限界日(10月5日)を越えていたため、生育日数の短い「耐病総太り」を播いたところ、作柄がよく高値で取引された。この年から3年の間に三浦ダイコンは激減し、現在、三浦半島のダイコンの99%は青首大根で、三浦大根はわずか1%かそれ未満の生産になった。 |