在来品種データベース

「三河島枝豆」品種情報
生産地東京都西東京市南町ほか
作物名エダマメ
品種名三河島枝豆
学名Glycine max Merrill
現地での呼称みかわじまえだまめ
写真三河島えだまめの草姿 三河島えだまめの枝と着莢 三河島枝豆 三河島枝豆の種子
栽培方法4月上旬に播種、6月下旬に収穫。5月下旬に播種すると、収穫は8月上旬。
品種特性本州の在来品種は晩生のものが多いが、本品種は中生品種。日長反応性は小さく、段播が可能。花色、莢の毛じ色とも白色。莢は中大で、完熟した種皮色は白(黄)で、臍色は淡褐色。
由来・歴史

品種名は、もともと江戸・東京の荒川に隣接し、地味が肥えて地下水位が高い三河島で栽培されたことにちなむ。

江戸時代にゆでた枝豆が市中で売られていたことは広く知られている。東京資料1では江戸で枝豆が売られ始めた時期について、『俗事百工起源』を引用し「枝豆売の始は、明和八年卯(一七七一)の夏、大橋三又築立の折、その人足共に昼休の時分、枝豆を茹でて売りし処、大に売れしが始めにて、今は夏に至れば処々にて枝豆売亊とはなりぬと云々」と述べている。つまり枝豆販売の始まりは、日本橋中洲にある隅田川の分岐点、納涼観月の名所として有名であった場所に大橋を築立していた1771年の夏であるという(完成は1772年)。

また東京資料1によると、京都、大坂、江戸、いずれでも生活に困窮した男性や女性が夏の夜に売るものであったといい、京都、大坂では枝を除いて鞘豆(さやまめ)にして茹でて売ったので、ゆでさや(湯出さや)といい、江戸では枝付きでゆでて売ったので枝豆(えだまめ)と呼んだとある。

東京資料2には、『武江産物誌』(1824)の野菜并果類の項には三河島はなく、大豆しかかかれていないが、明治15年2月の三田育種場種苗交換会市府県出品目録の東京府下に「三河島菜」とともに「三河島枝豆」の文字が見られる(『農務顛末』第一四 三田育種場 第六巻)ことから、江戸時代から栽培されていたと考えていいのではないかと述べている。

伝統的利用法茹でて食べる。
栽培・保存の現状枝豆としては家庭菜園など、自家用が主である。味噌用大豆として出荷栽培している農家もある。
継承の現状種子は種苗会社でも販売されており、東京内外でも栽培されている。
参考資料
  • 東京資料1:三谷一馬(1996)『彩色江戸物売図絵』、中公文庫、p98-99.
  • 東京資料2:野村圭佑(2005)『江戸の野菜 消えた三河島菜を求めて』、八坂書房、p78-79.
調査日2014/6/30