品種名は、もともと江戸・東京の荒川に隣接し、地味が肥えて地下水位が高い三河島で栽培されたことにちなむ。 江戸時代にゆでた枝豆が市中で売られていたことは広く知られている。東京資料1では江戸で枝豆が売られ始めた時期について、『俗事百工起源』を引用し「枝豆売の始は、明和八年卯(一七七一)の夏、大橋三又築立の折、その人足共に昼休の時分、枝豆を茹でて売りし処、大に売れしが始めにて、今は夏に至れば処々にて枝豆売亊とはなりぬと云々」と述べている。つまり枝豆販売の始まりは、日本橋中洲にある隅田川の分岐点、納涼観月の名所として有名であった場所に大橋を築立していた1771年の夏であるという(完成は1772年)。 また東京資料1によると、京都、大坂、江戸、いずれでも生活に困窮した男性や女性が夏の夜に売るものであったといい、京都、大坂では枝を除いて鞘豆(さやまめ)にして茹でて売ったので、ゆでさや(湯出さや)といい、江戸では枝付きでゆでて売ったので枝豆(えだまめ)と呼んだとある。 東京資料2には、『武江産物誌』(1824)の野菜并果類の項には三河島はなく、大豆しかかかれていないが、明治15年2月の三田育種場種苗交換会市府県出品目録の東京府下に「三河島菜」とともに「三河島枝豆」の文字が見られる(『農務顛末』第一四 三田育種場 第六巻)ことから、江戸時代から栽培されていたと考えていいのではないかと述べている。 |