畔藤は古い地名にちなむ。畔藤きゅうりは地区の篤農家、佐藤伊六、川井、川井(本家)の3名がお伊勢参りの道中、農家に宿を取った。たまたまその農家は野菜農家で障子のようなものに油を引く夜業をしていたので、聞いたところ、野菜の苗を育てる温床に使うとのことだった。それに興味を持った彼は一晩中野菜作りの話に花が咲き、キュウリの種子をもらうことになり、温床作りと育苗技術を習得して帰途についた。 そのキュウリは長い間、川井と川井(本家)だけで門外不出として栽培していた。昭和に入り孫の代になると、親戚知人に種子が内緒で行き渡って作付けが拡大していった。昭和10(1935)年代に入ると八百屋の店先で畔藤きゅうりは賑わうようになり、戦後、畔藤地区に青果市場ができて遠くは米沢市、南陽市赤湯、川西町小松方面から業者が買い付けに来ていたという。 しかし昭和30(1955)年代に収量性の高いF1の短形キュウリが登場し次第に市場で人気を博すようになると、昭和50(1975)年代には畔藤きゅうりは市場から姿を消した。種子保存のために、畔藤きゅうりの栽培をやめていた地元の1農家が1963年に栽培を復活して2020年代初頭ごろまで続けてきた。 |