大島では、昔は飢饉の年のことを「餓死(ガス・ガシ)年(ドシ)」といい、「ソバとカブはガシドシの作物」とよんだという。天水に頼り、やませしばしば見舞われた大島において、大島かぶは飢饉食として大切に守られてきた。 由来に関してはさまざな説がある。 1)このカブはもともと岩手県一関市室根の矢越集落で昔から栽培されていたもので、明治期に矢越の釘子地区の吉田という人物が大島に種子を伝えたという説。矢越では昭和30年代に栽培がいったん途絶えたが、矢越の山間部にわずかに残っていた矢越かぶと大島出身で矢越に嫁にきた女性が大島から持ち帰った種子から平成6年から本格的に矢越で復活し特産になっている。 2)安永風土記(1780)年に矢越の隣の集落、小梨村(現、一関市室根小梨)から大島村の谷地屋敷に婿入りして農業を始めた人物の記述があることから、このときに伝播した可能性がある。 3)離島であるので、江戸時代は廻船や鰹船などによって人や物の往来があった。島内に自生する古木のユズ、ビワ、チャなども廻船によって運ばれたことから、大島かぶも海路で運ばれてきた可能性がある。 4)北海道の砂糖大根(資料1ではてん菜になっているが、実際はアイヌが栽培していたというルタバガの一種、アタネのことか?)と大島かぶが交配してできたのが、大島に伝わるカブで、北海道では廃れたが、大島に伝わるのみになったという口伝がある。 (以上、宮城資料1による) |