在来品種データベース

「阿房宮」品種情報
生産地青森県八戸市、南部町
作物名食用ギク
品種名阿房宮
学名Chrysanthemum morifolium Ramat. (?) (キク科)
現地での呼称あぼうきゅう
写真名久井岳と阿房宮の畑 干菊(品種「十五夜」) 農家によって阿房宮の花の形態に違いがある(上段、中段、下段は異なる生産者) 阿房宮の畑 阿房宮の花 阿房宮の花@八戸市農業経営振興センター
栽培方法6月上旬に苗を定植。10月20日までに霜よけの対策をする。収穫は10月下旬~11月中旬まで。増殖方法は株分けが主流(21-10-19ヒアリング)。
品種特性淡黄色の中輪菊で、平弁やさじ弁、その中間のものがある。花着きがよい。香りはソフトで、歯ざわりがよく、苦味はほとんどなく、独特の甘み、旨味を感じる。
由来・歴史

弘化4(1847)年に出版された農書「軽邑耕作抄(けいゆうこうさくしょう)」(陸中の地頭、淵澤圓右衛門著)には、「阿房宮」の記載があることから江戸時代後期にはすでに南部に「阿房宮」が存在したことがわかる。

由来には以下の通り、諸説ある。

(1)天保年間(1835年ころ)八戸の七崎屋半兵衛という豪商が、大阪で「黄宝珠」と「軍勢」という品種の苗を七両二分で買い求めて帰り、八戸でこの「黄宝珠」由来の実生苗の一つが「阿房宮」となり食用菊として利用されるようになった。

(2)南部藩主が京都の九条家の鑑賞ギクの「阿房宮」をもらいうけて栽培したところ、苦味がなくて芳香と甘味があるので、食用として広めたもの。

(3)八戸市周辺は、昔から奥州菊の産地として知られているが、奥州菊は200年以上前に中国から渡来したといわれる「黄宝珠」をはじめ、二十種類以上栽培されていた。これらを親として実生が作られた中に、色や香りがよく美味な菊があり、これが「阿房宮」であり、食用にされるようになった。

伝統的利用法

加工品にするのが一般的で、花弁をざるに入れて蒸し、すのこに広げて乾燥した干し菊をつくる。あるいは近年は蒸した花弁をラップでくるんで冷凍した「ラップ巻き」にする加工品もある。かつて干し菊を「菊のり」の名称で販売したところ、海苔と間違えられたことから、「ほし菊」という名称に統一した経緯がある。

かつては花梗をつけたままさっとゆで、皿に盛ってだいこんおろしをそえて醤油をかけた「作り菊」にした。はなからむしった花弁はゆでて三杯酢にしたり、味噌汁に入れる。おろしに和えたり、焼き魚のあしらいにしたり、炊いたご飯に湯がいた花弁をのせて食べることもある。(青森資料7)

栽培・保存の現状現在、「阿房宮」の栽培者はJA八戸の部会員が3名。
消費・流通の現状直売所など
継承の現状青森資料5:八戸市農産物ブランド戦略会議が2012年8月24日に設立され、伝統野菜の戦略品目として食用菊と糠塚キュウリを選定し、販路拡大やブランド化推進を行っている。
参考資料
  • 青森資料5:「伝統野菜」活用促進事業に関する資料(ポンチ絵とスライド:東青地域県民局地域農林水産部)
  • 青森資料6:八戸伝統野菜「八戸食用菊」(八戸市農業経営振興センター 作成資料)
  • 青森資料7:青葉 高(2000)「日本の野菜」
  • 青森資料8:工藤昭(1992)「農家と共に36年 南部畑作地帯のやさい」p51-62.
  • 青森資料9:「日本農書全集21 軽邑耕作鈔鈔・遺言・地下掛諸品留署・農民之勤耕作之次第覚書・亀尾疇圃栄」(農文協)p116.
  • 青森資料14:木鎌耕一郎他(2020)「地域の基層と表層 八戸地域から考える」p160.
調査日
  • 2014/1/17
  • 2021/10/19
備考

昭和40年3月に名川町と南部町の食用菊栽培者で「南部地方食用菊生産販売協議会」が結成された。昭和40年代から50年代にかけ、八戸市や三戸郡の生産者団体への食用菊加工施設の導入により、工程時間の短縮、規格の統一が図られ、品質が向上した。しかし高齢化や加工施設の廃止によって、集団的な生産はなされていない。

八戸市農業センター(現・八戸市農林水産部農業経営振興センター)では、阿房宮が晩生のために霜害をうけて皆無昨になることがしばしばあったことをうけ、昭和39年ころから降霜前に収穫できる品種育成を正部家種康場長の指示で佐々木勉技師が中心となって取り組み、昭和42年~48年に数多く(改良種八戸ぎくNo.1~7)を育成した。そのなかから八戸ぎく1号、2号、十五夜などが誕生した。