在来品種データベース

「糸巻きダイコン」品種情報
生産地宮崎県西米良村大字村所
作物名ダイコン
品種名糸巻きダイコン
学名Raphanus sativus L. var. hortensis Backer
現地での呼称いとまきだいこん、めらいとまきだいこん(米良糸巻大根)
写真栽培風景@宮崎県西米良村2019-01-11 収穫された米良糸巻大根@宮崎県西米良村2019-01-11 別農家が自身の畑で収穫した米良糸巻大根@宮崎県西米良村2019-01-11 米良糸巻大根の切り干しの漬物@宮崎県西米良村2019-01-11
栽培方法

かつては杉の伐採跡地を焼いて行う焼畑で栽培された。火入れは8月中旬~下旬で火入れ後すぐに播種を行った。2018年に最後の焼畑(コバ)栽培者が栽培途中でご主人が亡くなり、栽培したダイコンも獣害(シカ)で壊滅したことから、以後、焼畑栽培は消滅し、西米良村では普通畑栽培のみになった。

ペロリ鉱山農園では9月15日ころに播種。収穫は11月末~3月上旬。採種するときには、白地に紫の筋が入るタイプと全面紫色のタイプを1農家で10個体ずつ計20個体、ペロリ鉱山農園では計200個体程度選んで11月末ころ植え付ける。大根の首から上の葉柄部を15cmほど残して葉を切り取り(末基(すえもと)すると呼称)、尻の細根も切って採種畑に移植する。

品種特性根部の表皮色は、伝統的に白~紫色の個体を混ぜながら集団が維持されてきた(近年の交雑によるものではない)。糸巻きダイコンの名の由来にもなっているのは白地に赤い横筋が入るタイプも混じるためである。甘味が強く、肉質は硬いが多汁。煮崩れしにくい。
由来・歴史

来歴は不明である。享保・元文ころ(1730年代ころ)に編纂された『肥後国球麻郡米良山産物帳』(宮崎資料2)(以下『産物帳』と略)には「大こん」の記載がみえる。これだけでは、どんなダイコンだったのか分からないが、当時の状況を知る手がかりとして、亨保6(1721)年に書かれた『米良山書上帳』の解説がある(宮崎資料3)。

当時、現在の西米良村を中心とする米良山地域には、耕地がわずか数%しかなかったので生産の中心は焼畑で、麦、粟、大豆、稗、蕎麦、野稲、芋などをつくり、3~4年で放棄した後は、自生の茶を育てたとある。

実際、焼畑で糸巻きダイコンを栽培する文化が近年まで継承されてきたことを考えると、記録された「大こん」も焼畑で栽培されていた可能性や、糸巻きダイコンが、その「大こん」である可能性も十分に考えられる。もしそうであれば、糸巻きダイコンは300年近くの歴史を持つことになろう。

伝統的利用法間引き菜はおひたしと油炒め。赤紫の大根は酢の物に、白い大根は煮しめ、みそ汁、切り干しに利用する。切り干しを作るときは、太さに応じて二つ割りか、四つ割りにし、生のまま天日で2~3日乾燥させる。長く干しすぎると黒くなり、寒い時期に干すと黄色になる。昔は切り干し一升と米一升を交換できるほど貴重であった。
栽培・保存の現状

西米良村内で最も多く作付けしているのはペロリ鉱山農園で6名が栽培している。1シーズンで1.3~2t収穫し、西米良村立村所加工グループに出荷している。

村内には他にも20軒程度が栽培しているが、広くても一反未満。多くは一畝か二畝程度。サルとシカの被害があり、その対策が不可欠。

消費・流通の現状村所女性部いとまき倶楽部が糸巻き大根の切り干しやしょうゆ漬けなどの加工を手がけ、宮崎市のマーケットプラス株式会社が販売を担っている。
継承の現状若い栽培後継者は不在。
参考資料
  • 宮崎資料2)相良遠江守内 森平左衛門(1730年代ころ)『米良主膳領 肥後国球麻郡米良山産物帳』.盛永俊太郎・安田健(1989)『享保・元文諸国産物帳集成 第ⅩⅢ巻豊後・肥後』、科学書院、 p568.
  • 宮崎資料3)浜田善利(1989)考察および文献.盛永俊太郎・安田健(1989)『享保・元文諸国産物帳集成 第ⅩⅢ巻豊後・肥後』、科学書院、 p681-682.
  • 宮崎資料7)大角恭代「焼き畑で育てる。西米良在来種、糸巻き大根」宮崎の旬に出逢えるメディア in Season 今月の生産者 2013年12月 vol.15. https://www.inseason.jp.net/producer/201312/
調査日2019/1/11