在来品種データベース

「改良伯州5号」品種情報
生産地鳥取県米子市、境港市及びその周辺の大山山麓(西伯郡日吉津村、南部町、伯耆町、大山町、日南町、江府町、日野町)
作物名ネギ
品種名改良伯州5号
学名Allium fistulosum L.
現地での呼称伯州美人(はくしゅうびじん)
写真改良伯州5号(伯州美人)の畑1 改良伯州5号(伯州美人)の畑2 改良伯州5号(伯州美人)の草姿
栽培方法

日本海と中海に挟まれた米子市の弓浜地区の砂地を中心に栽培される。播種は2月下旬~3月中旬で、チェーンポットやプラグトレイ、あるいは露地で育苗する。定植は4月下旬~5月下旬で、有機質肥料を中心に施用する。収穫は11月中下旬~2月下旬。固定品種のため、生育に多少バラツキがあり、葉は伸びやすく軟らかいため、風雪に弱く栽培が難しい。また排水にも十分気をつける必要がある。

原々種の採種は鳥取県の試験場で行われ、原種の増殖は鳥取県白ねぎ改良協会が行っている。「伯州美人」の規格として栽培に使う肥料等が定められている。

品種特性葉鞘部はひときわ太い一本ねぎである。加熱するとトロっとした食感と甘みが際立つ。千住系の改良品種であるが、青い葉の部分も軟らかい。
由来・歴史

鳥取資料1によると、弓浜半島では大正時代のはじめから地元の軍隊の栄養野菜として、千住系白ねぎがニンジン、キャベツとともに導入され栽培されたのが同地における白ねぎ栽培の始まりのようである。

1931(昭和6)年、中西秀夫氏(広島県農会から西伯郡農会に赴任。後の鳥取県農業試験場西伯分場長)が山口県王喜地方から導入した千住系ねぎを、当時の先進農家、矢新積善(河崎地区)、野浪明(旗ヶ崎地区)、足立時衛(富益地区)、大谷正一(灘町地区)、柏木碇(外江地区)らが試作したところ、周辺農家の栽培意欲を刺激して生産が急増した。中西を中心とする郡農会の指導で採種組合を作り、選抜育成した「伯州一本葱」と名付けて種子を配布し始めた。

さらに1935(昭和10)年に、県農業試験場西伯分場でも幡原隆治分場長らが千住系合柄に近い「伯州一本太葱」を育成し普及したが、戦争が起こり、栽培が制限されると交雑が進んでしまった。昭和24年ころから中西分場長らが改良を進め、30年ころに本来の「伯州一本太葱」の形質が復活した。それは早生太り軟質、葉色淡く、締りも軟で食味は良いが、店頭における日持ちがやや悪かった。分場は葉が硬く分けつが少ない千住系黒柄の形質を導入して昭和44年「改良伯州2号」を育成した。さらに耐暑性、葉色、葉肉の厚さ、首の締りなどを改良し、1988(昭和63年)に「改良伯州5号」を育成した。

生産者の一人で前鳥取県白ねぎ改良協会副会長の松尾敏正氏は小学生のころ(1960年前後)、弓ヶ浜駅付近にネギの集荷場があり、雪の日に農家が大八車で収穫したネギを運び込む風景を思い出すとのこと。また現在鳥取県にネギ産地があるのは、1935年ころに育成された「伯州一本太葱」系統の歴史に支えられてきたおかげだという。

伝統的利用法白ねぎの天ぷらが一般的で絶品である。独自のメニューとして斜め切りしたネギを、昆布とカツオのだし汁でしゃぶしゃぶにして、刻んだ青魚を加えたつけだれにつけていただく「白ねぎ将軍鍋」がある。
栽培・保存の現状生産者は10名(令和4年現在)。
消費・流通の現状

改良伯州5号は直売所などでも販売されているが、栽培方法や形態に関する規格に適うものをブランド品として「伯州美人」と名付け、広島、岡山、京阪神から中京方面まで販売している。特に市場出荷では奈良県を中心に高級スーパー店などで期間限定の鳥取県ブランド品として一定の認知を得ている。

令和4年度より、地元のイベントへの出店、学校給食への提供、地元菓子メーカーとコラボして商品開発・販売を行い、流通形態を多様化している。

地元の白ねぎ農家はじめ主婦などから成る「白ねぎ料理研究会」が毎月料理を考案し、現在までネギ料理、約200レシピをストックしている。パンフレット「とっとり白ねぎレシピ」を作成・配布したり、JA鳥取西部やJA全農とっとりのホームページから食べ方の普及活動を行っている。

継承の現状生産者の8割が70代だが、50代も2割いる。
参考資料鳥取資料1)鳥取県農業協同組合連合会および鳥取県白ねぎ改良協会編(1997)「鳥取県白ねぎ沿革史」(平成9年9月13日発行)
調査日2022/11/22
備考「伯州美人」は、JA鳥取西部が定める規格に適合した改良伯州5号のブランド名である。